会話から何が始まる?

最近は原発のことやがれきの問題についてブログに書くことはないですが、
ずーっと頭の中にあって、いつも考えています。
そして考えていると、悲しいのと、頭にくるので、どうしたってネガティブに
なりがちになります。
仕事で疲れているとなおさらです。
 
それでも目を背けず、今自分ができることは何か? やるべき事は何か?
考えます。
 
自分はどうしてこんなにもこの問題(放射能)から離れられないのか・・・
よく考えるのですが、最近よくこう思います。
「毎日畑にいるからなんだな」 って。 
こうやって土に触れて、そこに育つ野菜たちを見ていると、気持ちがよくなるし、
感謝の気持ちで一杯になります。
 
でも逆に申し訳ない気持ちでも一杯になります。自分たちのせいで日々環境を悪くし、
しかもそれを直すことも全然出来ないのです。これからも、子どもたちの世代もこうやって
畑をすることが出来るのか・・・不安とも違うなにか畏れのようなものを感じます。
こうやって今のような生活をさせてくれているのは、畑があるからであって、その畑が
この先どうなっていくか分からなかったら、きっと誰しも同じように思うと思います。
 
原発は自分が作ったわけでない、がれきは自分が持ってきたわけではない、
もちろんその二つに反対もしているわけだけど、結果、その二つの問題は存在していて、
全く解決していない。誰のせいだよ。
 
誰かのせいにするのは簡単だけど、それでは全くもって問題は解決しない!
だから自分を責めたくなります。でもそれもだめだよね。
 
そんな今だからこそ対話・会話の必要性をすごく感じます。
自分には少なからず大切な友達がいます。
そのなかでも、わっか屋の角さん・まいちゃん、村田さん夫婦にはとても助けられています。
お互い好きなこと(たとえそれが間違っていたとしても)を言いあえて、内に溜め込むことなく
吐き出すことが出来ます。
嫌なことを「いやだ」「ありえん」って言えるだけで、人はどんなに楽になるでしょうか?
 
例え違う意見だって、そうかそういう意見もあるんだな、と自分の思うことを考え直すきっかけ
だったりもする。
 
今まで全く交差した事のない人とこうして出会って、今そしてこれからの事を考えていけるって
すごいことなんだよね。今の世に失望しつつも、それを共感することで新たな光を見いだせるかも知れない。
会話ってすごい。ただ話しているだけだけどね。
 
こんなことみんな知っていることだよね。何をいまさらそう騒がんでもね・・・
でも最近そのことに気づいたんです。だから書いてみました。
 
会話の先には何があるんだろう? きっと何かが生まれ・始まると思うんだよね。