スランプの先に見えたもの・・・

ここ数日体調が思わしくなかったが、今日はそれに輪をかけ悪く
なりました。暑かったのに、ばかみたいに頑張ったからでしょう。
 
そんなので、午後は家でじっとしていました。といっても子どもがいるので
のんびりではないですが。
 
そんなこともあり、本を読んでいたのですが、やはり本はすばらしいです。
からしか学べないものが多くあることを思い出しました。
 
そして、ふと8月のスランプの原因がつかめてきました。
 
スランプだった8月から抜け出した・・・と以前のメールに書きましたが、
それはあくまで、表面的と言うか、秋作へ気持ちが切り替わった、という
感じでした。根本的な解決はとりあえず、後で考えるとして、今は進まなきゃ
という感じでした。
 
今日は根本的な方の問題解決に光が見えたという感じです。
 
今年にはいってから、ほとんど休みなしで、畑仕事をしてきたわけですが、
それはただ一点のためでした。
「半人前だから野菜から全てを学ぼう」という考えからです。
答えは畑にあると。いろんなことを試して、その結果が必ず畑にいれば
わかるはずだから、常に畑とともにあろうとしたわけです。
 
ただ、知らず知らずのうちに、心身ともに疲れがたまり、そのことをしなくては
という思いと、ちょっと無理という体からの声の間にギャップが生じてたような気がします。
 
まだまだ百姓としてやっていけるだけの、体、精神ともに備わっていなかったということです。
 
いくら頑張っても自分自身をコントロール出来ていないと、野菜からの声は届かないもの
だと言うことです。
 
シンプルに野菜が健康的であるように ということは少しも揺らがないし、今の野菜づくりを
見直そうということはありません。それを前提に常に無駄を省いて、本当に必要なもの・こと
だけに手を貸す、といつも考えています。
 
今日気がついたのは、野菜の方ではなく、自分自身のことです。
畑をする、農ある生活をすること、そのことと自分の生き方とをどう繋げていくかを今一度
考えなおすべき、と気がついたのです。
 
環境のこと・原発のこと・健康のこと・食のこと・子育てのこと・・・
それらとちゃんと向きあって、本を読んだり、さっちゃんともっと会話すること
そういうことが、自分の生き方の柱となっている畑をちゃんと理解することに繋がるはず、
そんなことを思ったわけです。
 
畑はこれからの自分達の基本だし、柱です。でもそれをしているだけでは、きっとダメだと、
いろんなことをちゃんと考えることが、結局のところ自分自身を鍛え、しっかりとものを
見る目を、考える脳をつくるんじゃないかなあと思ったわけです。
 
そうじゃないと野菜からの声は届かないし、畑をどうしていきたいかを描けないなと、
そんなことを思ったわけです。
 
道のりは長く険しい・・・だからこそ、それに負けない自分でなければ、きっと続かない
そんな事を今日半日考えていました。
 
スランプを抜け出したわけではなく、むしろ長く続く道を見つけたのかも知れない・・・
でもそこに道があることに気がついた自分と二人の子供、そしてさっちゃんに感謝!