生きた情報について

 今日はまんまやまちこさんが朝早くから来て、午前中作業し、一緒にお昼を食べてから帰っていきました。
最近よく会ってお話ししています。
これから一緒に色々やっていこうというネタが多いから、会っているのですが、当然それ以外のこともたくさん
お話します。原発のこと・政治のこと・野菜のこと・最近読んだ本のこと・・・
まあ興味のあること全般なんでも話しています。
 
 別の話
 月に一度野菜を送っている友人夫婦がいます。山口に移住する前から僕らのことを心から応援してくれ、
農業始めてからも、常に気にしてくれて、メールや手紙でいろんなことを言ってきてくれます。
その都度、僕らは心底勇気づけられ今日まで歩んでこれたぐらいの頼もしい友人夫婦です。
 その夫婦から野菜を送る度に、二人から野菜に関しての沢山のコメントをもらいます。
どの野菜をどのように食べたか、各野菜について味がどうだったか、食感がどうだったか・・・
辛口なものも含めて、二人の主観で書いてきてくれます。
 
 この二つに共通していることは、とても大切な情報を得られた ということです。
情報と言うと、TVやラジオ、ネット、新聞、雑誌などから得られるものと思うと思いますが、
個人的にはそういった情報はあまり意味が無いことが多いです。
これらは情報ではなく、あくまで話題に過ぎないと思っています。
なぜか? とても画一的なものが多いからです。
 
 それに対して、上の二つのような、ごく個人的な主観な主張・意見こそ必要としている
生きた情報なんです。自分が何かをしようと考えたとき、こうした主観的な情報をつなぎあわせて、
その時一番だと思う事を目指してやります。
 
 野菜を作る上でも、生きた情報を得られると迷いがなくなり、行動にすぐ移せます。
野菜が固くなっている、という情報が得られれば、水まきの準備をして、定期的にかけるようにします。
もちろん自分たちでもたくさん食べて、考えているのですが、自分達だけでは情報がどうしても足りないのです。
 
 畑作り、野菜づくり、販売 すべてを自分でこなすには生きた情報をいかに得るかで変わってきます。
野菜のことだけを考えていても、野菜づくりは迷うばかりです。食べてくれた人の意見があると、
圧倒的に迷いがへります。
 
 やることが山のようにある今日この頃ですが、いろんな情報が入ってくるようになり、混乱せず、やっていけているように思います。
 
 ごくごく個人的な主観(生きた情報)をいつでも待っています。よろしくおねがいします。
なんか長々とよくわからないことを書きましたが、↑のことを言いたいだけだったんです。