肉体がなくなるも魂は土に還る




スコーンと晴れた朝でした。
日中は風が吹いてちょっと寒かったです。
 
昨日(20日)父の葬儀を行いました。1年半前に一度死を覚悟し、
葬儀屋と打ち合わせをしたこともあり、今回は自分と母の望むような、小さい家族・親族
だけのお葬式となりました。
こういったこと全般に苦手意識が強く、死を悼むべき親族があれこれとやることが多い昨今の
お葬式はいつも疑問でしかなく、集まった人がゆっくりと話が出来、いい意味で気楽にいられること
が自分にとってのお葬式です。
とにかく大変はだめ。忙しいは逃げです。故人としっかり向き合ってこその別れの会
だと思います。お葬式は大変で忙しいは自分の頭のなかにはありません。
そのように自分は思っています。
 
本当はお葬式ではなく、個人個人が時間があるときにその死と向き合って、故人との思い出をもう一度
思い出すことが、きっとその故人の残していった何かではないかな。その見えない思いはきっと
軽くないと思います。
 
父は18日の寒い日に息を引き取りました。延命は絶対にしないと母と決めていたので、様態が急変し
母と病院に行ったとき、人工呼吸器がついていて母がびっくりしていましたが、先生は延命ではないです、
といってこちらの同意のもとスイッチをきりました。
ゆっくりと時間は流れ、呼吸の間隔が長くなり、それに反比例して、呼吸は深くなっていきました。
つらそうという感じではなく、力のある限り生命活動をし続けているという印象でした。
1年半の寝たきり、点滴のみでがりがりにやせ細って、こうして最後はゆっくりと息を引き取りました。
本当にお疲れ様でしたの一言でした。
 
自分たちは結果としてだけど、どこか父を看取るために呼ばれたような気もします。
 
自分はここで畑を続けていきます。自分が生きている限りはですが。そして父を墓場にではなく、この地に
ゆっくりと還そうと思っています。少しづつゆっくりと。
野菜や草や花や虫と同じように彼もまたここで大切な畑の土の一部になって欲しいのです。